第18話 ヤバすぎる「国家戦略」

2018年04月20日

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法律に基づいて3年ごとに改定される国の「エネルギー基本計画」の議論がいよいよ大詰めを迎えている。今回は、とりわけ2050年に向けた方向性が出されるということで注目されていた。

その素案が公表されたのでさっそく眺めてみた[1]。太陽光や風力などの再生可能エネルギーを初めて「主力電源」と位置づけたところまでは良いものの、これが文字どおり「羊頭狗肉」で、全体としては何とも奇妙奇天烈な印象を拭えない。チョンマゲを結ったサムライが洋服だけを羽織ったような違和感なのだ。

 

世界で驚異的な成長を遂げている太陽光や風力の勢いに押されて、さすがに「再生可能エネルギーを主力電源」とすることを掲げざるを得なかったことだけは進歩だ。ところが内容を見ると、相変わらず「古いアタマ」で眺めた否定的な言葉が羅列している。「火力発電による補完が必要」「天候次第で供給信頼性が低い」「電力品質の安定が困難」「蓄電池が必要だが実用化にはほど遠い」などだ。

全般に論理の組み立てが我田引水で自己正当化に終始している。デンマークとドイツを取り上げて、高い再エネ比率が可能なのが送電線の国際連系線があることだしながら(暗に日本では難しいと言外にほのめかしつつ)その不安定さを強調しているが、オープンな電力市場がもっとも系統安定に貢献している事実には触れない。太陽光と風力を「変動ゼロエミ」という新造語で呼ぶ一方で[2]、原発と水力、バイオマス、地熱を「安定ゼロエミ」という新造語で呼んで、後者の比率が高い方が低炭素化が進んでいると、「ゼロエミ」という言葉で何が何でも原発を再エネと一体化させつつ、太陽光と風力に冷淡な目を向ける。

別の我田引水では、太陽光と風力を高効率火力と一緒に「低炭素化技術」と呼ぶ一方で、水素と蓄電池と原発を「脱炭素化技術」と呼ぶことも意味不明だが、後者の「脱炭素化技術」で日本が世界の中でリードしていることを誇示している。今や誰も見向きもしない水素燃料電池で世界トップだと叫んだり、原発投資で瀕死の重傷を負った東芝の事例をよそに原発産業の主力を占めることを誇示しても、ブラックジョークでしかない。

 

「日本の潜在力を顕在化させる打ち手」「野心的複線シナリオ」「科学的レビュー」、そして極めつけは「総力戦」だ。勇壮な言葉が次々と踊っているだが、どれも実態の裏付けがなく内容が空っぽなのだ。海外から14名の「有識者」を呼んで参考にしたとのことだが、おそらくそれらの情報の断片をつまみ食いしツギハギして中身があるように言葉を「盛っている」ために、こうした「勇壮な言葉」が踊るのだろう。これが「国家戦略」なのかと思うともの悲しくなる。

なぜこうなるのか。こうした審議会には立派な委員が名前を連ねているのだが、実態は役所の若手官僚が素案を書いている。官僚は2年おきに次々に新しい部署に異動してゆく。学校秀才なので学習は早く、表面だけは手際よくこなせるのだが、じつは本質も新しい現実も理解していない「えせプロ、じつはど素人」であるため、役所内に漂う「時代遅れのコンセプト」にすぐに染まってしまう。かつて旧日本海軍が「大艦巨砲主義」にしがみつき、旧日本陸軍が「歩兵肉弾戦」にしがみついたのと同じだ。

 

かくして、「総力戦」といった勇壮な言葉が踊るが、中身がなく我田引水で物悲しい「国家戦略」が出来上がった。この国のエネルギー政策のゆくえ、さすがにヤバいかもしれない。

 

 

[1] 資源エネルギー庁・エネルギー情勢懇談会提言「エネルギー転換へのイニシアティブ」http://www.enecho.meti.go.jp/committee/studygroup/ene_situation/pdf/report.pdf

[2] 太陽光と風力は一般には自然変動型の再エネ(VRE)と呼ばれる。